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ヨルダン・エジプトの旅 (2010年11月20日〜29日)
LOOKJTBツアー
薔薇色のペトラ遺跡とエジプト・ピラミッド10
LOOKJTBのヨルダンとエジプトの旅に行ってきました。
この旅はイベント盛りだくさんでしたので、それらの内容を紹介したいと思い
ます。
なお、シナイ山登山については「二人の百名山」のコーナーで詳しく紹介して
います。
【1日目】2010年11月20日
仙台を朝出発し、東京見物をして時間を過ごした後に成田空港へ。そして、成田20:50発エティハド
航空EY0871(A330)にて、一路アラブ首長国連邦のアブダビ空港へ。
座席のフライト地図
このエティハド航空はアラブ首長国連邦国営の新しい航空会社で、オイルマネーの力で新式の機材を
集め運行しています。そのため、流石というか、エコノミークラス客室の各椅子にも液晶タッチパネルの
画面がついており、エンターテーメント・電話機能・ゲーム・前方&ランドカメラ・フライト地図等々が使え
るようです。
基本画面 電話画面 有線リモコン
さらに、この航空会社の機内サービスには、こんなものもありました。りっぱなケースが配られたので、
何かと思って開けたら、トラベルセットとも言えるようなものでした。
トラベルセット @チャック付ケース*** Aアイマスク B靴下 C耳栓 D歯ブラシ E練り歯磨き |
なお、イスラム国の航空会社なので、お酒がでないのではと心配しましたが、他の航空会社と同様に
普通にお酒が飲めました。また、このツアーの期間中では、サンタカタリーナ・ツーリストビレッジという
サンタカタリーナ修道院近くのホテルだけが、夕食でのお酒が禁止でした。しかし、ここも部屋へのお酒
の持ち込みはOKで、お酒を飲みたい方は私も含めてまったく問題ありませんでした。
【2日目】2010年11月21日
予定より約30分早い3:55にアブダビ空港へ到着。空港で時間をつぶし、アブダビ8:10発エティハド
航空EY0513(A320−200)にて、一路ヨルダンのアンマン空港へ。アンマン空港は9:25着。
飛行機からのヨルダンは土色で緑はまったくなく、砂漠地帯と一目で分かる景色でした。
さっそく、アンマンの市内観光です。まずは、アンマン城へ行き、国立考古学博物館を見学しました。
アンマン市内 アンマン城 考古学博物館の展示
アンマン城からはローマ劇場を眺めることができ、そして、その後そのローマ劇場へ。間近で見ると
スケールの大きさに圧倒されます。最上段まで登って下を見ると、怖いぐらいの高さです。古代ローマ
人がここでどんな催しをしていたかは分かりませんが、この階段席が満席になって歓声をあげてる
彼らの姿が目に浮かんできます。
アンマン城からのローマ劇場 ロ ー マ 劇 場
こちらに来て、初めての食事(昼食)となりました。こちらの食事はシリア・レバノン料理というもので、
これからのヨルダン・エジプトの食事は特別なものでないかぎり、延々とこのような食事となりました。
内容についてですが、この時はあまり写真を撮らなかったので、その後の食事でしっかり写真を撮っ
た時がありましたので、その時の写真を使って説明いたします。
前菜として野菜サラダ的なもの、ピクルス、そしてナスや豆をすり潰してペースト状にしたもの等です。
ペースト状のものはサラダドレッシングやナンのようなパンにつけて食べるようです。メインは肉料理で
ケバブ・鳥肉・羊肉の3種類です。ほとんど常に、この3つがそろってでてきました。ここのケバブは、
羊の屑肉や削ぎ落とした肉を串に固め、回転させながら焼いたものだそうです。パンはナンのような
ものでした。そして、デザートは甘いシロップ漬けのようなケーキかメロン等の果物の場合もありました。
中央が人参・蕪などのピクルス
クレープのような皮 皮を剥ぐと下にも同じ皮
ナンのようなパン 裂くと中は空洞 デザートのケーキ
その後、この地域では最も保存状態が良いとされている古代ローマ遺跡、ジェラシュ遺跡の観光です。
観光後、死海のホテル・デッドシースパへ。
【3日目】2010年11月22日
砂浜はホテルのプライベートビーチになっているので、部屋から水着で浜辺へ。そして、死海の浮遊体験
ですが、思ったより軽く浮きます。そんなわけで、逆に立ち上がろうとすると脚が浮力を受けて、立ち上が
るのが困難でした。ワンダフル・ワールドで、不思議な体験ができました。
その後、モーゼ終焉の地であるネボ山へ。ここからはパレスチナが望め、遠くイスラエル、そして
エルサレムが微かに見えるそうですが、私の目ではよく分かりませんでした。しかし、エルサレム
を目の前にしているとは、感慨深いものがありました。
方角板 (エルサレム 46km の表示) |
記念碑 遠くエルサレムをバックに |
その後、最古のパレスチナ・モザイク地図のあるマダバの聖ジョージ教会へ。
聖ジョージ教会 説明書きの看板 パレスチナ・モザイク地図の一部
その後、一路ペトラへ。
【4日目】2010年11月23日
さぁ、今日はいよいよペトラ遺跡の観光です。ホテルを8:00に出発。目的地はバスで10分ぐらいの所
です。一日がかりの観光となるので、途中までの午前は集団行動、さらに奥への午後は自由行動とな
っています。今回のツアーは17名ですが、さてどうなることやら。
ここは「インディージョーンズ−最後の聖戦−」のロケ地になったところです。入口にはさっそく、その
関係の店がありました。インディージョーンズのように格好良く馬でというわけではなく、旅行会社が初
めの10分の乗馬体験にしてくれてたので、乗ってみました。馬の高さでも、ちょっと怖いですね。ラクダ
は、もっと背が高いようです。
馬から下りて薔薇色のシーク(谷)を進むと、そこに神殿が・・・。
おっ! おっお〜! お〜〜〜〜〜 神殿だ!
この神殿こそが、かのエル・カズネです。
さらに遺跡を進み、遺跡内のレストランで昼食です。そして、これからは自由行動となって、お疲れの方
はこの先の登りは行かないという企画です。しかし、このようなツアーに来た強者の皆様です。全員最後
まで行くということになって、さぁ奥へ奥へと頑張ろう。
階段もありの登りを、上へ上へと目指します。途中、原種チューリップのような葉を発見。チューリップの
原産地はトルコから中央アジア一帯と聞いていますから、これは間違いなく品種改良されていない原種
のチューリップだと思います。花が咲いていないのが残念ですが・・・。
そして、ついに山頂直下最深部の最大の神殿であるエド・ディルに到着し、その壮大さに圧倒されます。
頂上はそこからまもなくで、ヨルダン国旗のたなびく山頂にたどり着きました。
後は、よく見れなかった所を見学しながら、集合時間までに引き返すこととなります。
16:00頃に駐車場に到着し、皆さんが集まり出発。ホテルには16:30に到着し、まる一日かかっての
観光でした。
【5日目】2010年11月24日
この日はワディ・ラム砂漠の観光、「アラビアのロレンス」の世界です。
途中で鉄道を発見しました。おそらく、ロレンスがベドウィンといっしょに破壊活動を行った、オスマン
トルコの当時の鉄道の場所ではないでしょうか。映画のシーンが、目に浮かんできます。
そして、ワディ・ラム砂漠に到着。4WD車での砂漠の疾走です。というわけで、旅行会社からは砂塵
除けのために口を覆うようにと言われていたので、みんなこんな格好でした。そうしたら、現地の人から
「日本人はイスラム教徒か?」と言われてしまいました。しかし、こんな格好をしたのに砂塵は発生しま
せんでした。4WD車に間違いはないのですが、車はご覧の通りTOYOTAの何十年前かのトラックだ
ったのです。砂漠の疾走というにはちょっと及ばない、ゆったりの砂漠観光でした。
ロレンスの泉
ワディ・ラム砂漠はロレンスが愛した場所です。そして、そのロレンスが物思いにふけった、彼の大好き
だった場所が今「ロレンスの泉」と呼ばれています。写真のちょっと緑が見えている所で、当時はそこに
水が湧いていたそうです。ロレンスはどんな気持ちでこの場所にいたのでしょう・・・。
その後の昼食は、宿泊も可能なキャンプ場ででした。キャンプ場のテントの中も見せてもらいましたが、
ベッドがあって快適そうな部屋でした、食事はバーベキューということでしたが、焼き上がったものを
一人づつに運んできてくれるものでした。野菜サラダも別皿でついて盛りだくさんでしたが、メインは
やはり毎日食べているケバブと鳥です。
そして、楽器の演奏と歌が披露されましたが、そうです、アラブの音楽ですね。その後、その楽器を弾
かせてもらい、楽器の名前を聞いたら「オウティ」と聞こえました。私のヒアリング力なので、たしかでは
ありませんが、そんな感じの名前の楽器です。
砂漠のキャンプ キャンプのバーベキュー 楽器「オウティ」
この日は、それからアカバの港へ向かいました。ロレンスがベドウィンと協力してオスマントルコから奪還
したその町、アカバです。彼らはどういう思いでこの砂漠を、アカバに向かったのでしょう・・・。
アカバの町に到着。時間があったので、町を散策しました。
音の絶えないイスラム教のモスク 一般人の住居地 所々にあるポリス
アラブらしいお店 羊と思われる肉屋 鳥と思われる肉屋
海岸での野菜作り アカバの浜辺にて 対岸にイスラエルを望む
アカバ港は、紅海の奥のシナイ半島の東側のさらに奥です。細長い湾で、岸は東からヨルダン・イスラ
エル・エジプトとなっています。上の段の湾での写真は、こちら岸がヨルダン、対岸はイスラエルとなり
ます。イスラエルという国がこんなに側に見えるとは、考えもしませんでした。複雑な想いが脳裡を駆け
めぐり・・・。
【6日目】2010年11月25日
いよいよ、ヨルダンからエジプトへの船旅の日です。と言っても、ヨルダンのアカバ港からエジプトの
ヌエバ港までは1時間ちょっとです。しかし、これが大変でした。フェリーはお昼頃の出発ですが、やはり
税関とかの出国手続きが必要なので2時間ぐらい早く出発。手続きを終えてやっと船に乗ると、これが
缶詰状態のほとんど窓なしの最後部の小部屋で、ここに我々日本人18人と欧米人の観光客合わせて
5・60人が閉じこめられたような感じでした。前方は広い部屋で横に窓がある席ですが、いかにもアラブ
の人たちという方々で埋め尽くされており、異様な感じでした。そんなわけで甲板にも出られず、海外で
の初の船旅はとても快適と言えるものではありませんでした。そして、エジプトに着いても、なかなか降
ろしてくれません。船の中で相当待たされてやっと下船です。それでも、観光客は別扱いで、一般アラブ
人とは別ルートで降ろしてくれたので、これだけは助かりました。その後も入国手続きで時間がたち、
さらにバスに乗っても、また降ろされて荷物の検査、その後またバスに検閲官が乗り込んできて再度
パスポートのチェックと、かなり厳しい検閲でした。
その後にも感じましたが、エジプトは観光の国としての旅行客の安全のためか、町に入るにも施設に
入るにも都度チェックがあって、厳しく検査しているなという印象でした。
ヨルダンのアカバ港 船の中でのお弁当 エジプトのヌエバ港
さぁ、エジプトです。と言っても、この日は移動だけのため、一路シナイ半島をサンタ・カタリーナへ向けて
のバス移動となりました。
バスからのシナイ半島の眺めは、やはりどこまでも岩砂漠です。そして、日は沈んでいきました。
サンタ・カタリーナに到着しましたが、明日はいよいよシナイ山のご来光を見る登山です。
【7日目】2010年11月26日
2:25にランプを点けての登山開始となりました。ラクダ乗り場に2:45に到着し、約半数の方がラクダ
に乗られました。私たちは登山が目的なので当然歩きです。4:15にラクダ降り場に到着し、ここからは
全員が約800段と言われる階段を登らなければなりません。そして、全員無事山頂に5:00に到着。
ここからは何も言うことはありません。夜明けのシナイ山です。そして、モーゼが神から十戒を授かった
のが、この山なのです。
去りがたいシナイ山ですが、6:15に下山開始です。
階段下6:35、聖カテリーナ修道院7:50、そして登山を開始した駐車場には8:00に全員無事到着。
よかった、よかった。
ここで旅行会社さんにお願いをしておきたいと思います。
今回、この登山を無事終えることができましたが、観光ツアーの中の一日だけの登山ということでしょうがないのかもしれま
せんが、安全管理という面では登山専門のツアーに学んでほしいと思います。登山専門ツアーでは、怖くてこのような登山
はできないと思います。しかも、夜間登山なのですから。
気付いたいくつかの点を列記します。
1.基本的に全員がバラバラで誰が何処にいるか分からず、把握できていない。
2.先頭が早すぎて、ついていけるペースではない。
3.ツアー客が最後尾になる時間帯があり、関係者が最終を確認できていない。
4.ラクダに乗られた方は別ルートであり、ラクダを扱う現地人に預けられた状態で、関係者はまったく管理できていない。
今回は何もなかったからよかったですが、ラクダも使ったこの夜間登山の管理は難しく、今後の検討の必要があると考えざるを
えません。もし、ラクダから落ちて怪我でもするようなことがあったら、どのような対応ができていたのでしょう。
いったんホテルに戻って朝食、そして次の旅への準備です。
その後、再度聖カテリーナ修道院へ戻って観光です。
その後、430kmのカイロへの、このツアー最大の移動です。
途中、ベドウィンが身体を癒した・癒すハマム・ファラオーンのファラオ温泉に立ち寄りました。
そして、この日の昼食はシナイ半島の紅海に面したレストランで、期待通りの魚料理でした。こちらに
来て初めての魚料理でしたが、お肉もいいけど、やっぱりお魚もねぇ・・・。
ファラオ温泉 白身魚のフライ モーゼの泉
さらにシナイ半島を進み、モーゼの泉に到着です。ここは、モーゼがイスラエルの民を連れてエジプトを
脱出した時に、群衆が喉が渇いて水がなくて困り果てた時、岩を杖で叩いたら水が噴出
したとされる
場所です。
そして、ここからは船が行き交うスエズ運河が見えました。
いよいよスエズ運河を渡りますではなく、くぐります。スエズ運河はその下のトンネルになっていました。
長いバスの移動が終わり、やっとギザのシェラトンホテルに到着しました。カイロと思っていたのですが、
ナイル川を挟んで東側がカイロ、西側がギザの町なのだそうです。
スエズ運河下のトンネルの入口 エジプト ギザ の シェラトンホテル
ホテルに入る前に、ギザの町の中華料理が夕食だったのですが、皿にでてきたのを分けると、一人分
はこんなものでした。シリア・レバノン料理は客に満足してもらうために、量はたっぷりでるそうで、実際
その通りでした。中華料理も本場ではたしか同じ考え方だったと思ったのですが、ここではそういうことが
まったく忘れられていました。ビールはエジプトの「SAKARA」というものでした。
【8日目】2010年11月27日
ナイル川を眺めながらのシェラトンの朝食です。
おかゆと味噌汁付きです。コロッケを切ると中は緑色で、エジプトのコロッケはそら豆が原料です。
ギザの町は朝なのに、何か暗いです。そうです、霧なのか、なんとなく霞んでいます。
さぁ、ギザの三大ピラミッド観光です。
まずはクフ王のピラミッドです。やっぱり霞んでますが、ちゃんとしたピラミッドは写真で何度も見てます。
霞んだピラミッドはなかなか見れない、と自分に言い聞かせて納得するしかありません。
クフ王のピラミッドの内部の見学を終え、次は三大ピミッドのビューポイントで、3つのピラミッドが完璧な
シチュエーションで見えるそうです。が、霧で霞んで見えません。しかたがないので、集合写真を撮って
もらい、ディジタル処理で晴れた日の景色にしてもらいました。
次は、スフィンクスです。
その後、エジプト考古学博物館(撮影禁止)を見学し、この日はシーフードの昼食です。前菜とナンの
ようなパンはいつもと同じで、シーフードは白身の魚・エビ・イカのフライでした。黄色いのは、カレー味
のごはんです。
この日はこの後にお土産タイムということで、ハンハリーリ・バザールに行きました。ヨルダンは日本人
が少なかったのですが、エジプトは何処も日本人で溢れています。クフ王のピラミッドの狭いトンネルの
中でも、すれ違うのにほとんど日本語です。なぜなら、すれ違う人間が日本人だらけだからです。
この市場にも日本人がいっぱいです。そして、日本の関西のオバサンでも教えたのでしょうか。現地の
人たちは日本人と分かると、知ってる日本語を並べ立ててきます。「こんにちは」・「初めまして」はまっ
たく問題ないですが、「全部タダ・見るだけタダ・山本山・山本モナ・価格破壊・サムライ・ヤクザ」とか言
ってました。いったい、どうなってまんねん。私は、「あんたはヤクザか」と言われました。
エジプトですが、信号は中心街に1つか2つだけです。その他には信号がありませんので、命がけでスキ
を見つけて渡るしかありません。クラクションはひっきりなしに鳴っています。むやみにクラクションを鳴ら
してはいけないという法律が出来たそうですが、全然意味がないそうです。ガソリンの価格は1リッタ当た
り20円ぐらいだそうです。それと、エジプトは完全にチップ社会です。どこのトイレでも入口にチップを受
け取る人が立っています。しかし、正規の人と払わなくてもよい人がいるようですが、よく分かりません。
【9日目】2010年11月28日
今回の旅の最後の一日となりました。この日は飛行機に乗るだけですが、朝の出発前に時間があった
ので、ナイル川を渡ってカイロの市内見学に行きました。
エジプト帰国後にエジプト国民によるデモで革命が起きましたが、その場所はナイル川を渡って交差点
を左折し、エジプト考古学博物館へと歩いたまさにその交差点周辺だったのです。そのタハリール広場
一帯がエジプト革命の現場になるとは、その時にはまったく思いもしませんでした。
ナイル川の橋 ナイル川 アカシアかなぁ?
地下道 バス・ターミナル エジプト考古学博物館
ス ー パ ー の 食 料 品 の 陳 列
そして、ついにエジプトにお別れの時がきました。
カイロ13:40発エティハド航空EY0654(A320−200)にて、一路アラブ首長国連邦のアブダビ空港
へ。
カイロからアブダビへの航路
アブダビ空港に19:00着。また乗り換えに時間があって、さらに何故か成田行きだけが35分遅れと
なっていて、アブダビ22:35発エティハド航空EY0878(A330)にて、一路成田へ。
アブダビから成田への航路
【10日目】2010年11月29日
最後の機内食は本当になつかしい日本食でした。やっぱり、ウマイ!
日本食の機内食 (焼き鮭・卵焼き・味噌汁etc)
|
成田には30分遅れの13:25着。ツアーの皆様と挨拶を交わし、その後新幹線にて仙台への帰路に
つきました。
ツアーの皆様、お世話になり、本当にありがとうございました。
§§§ 最後のご挨拶 §§§
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
私ども夫婦より、御礼申し上げます。
※ 今回のツアーの日程表