随筆「てんびんばかり」 2004年5月14日
ー河島英五、ジョン・レノンは今ー
私は今、至福の時にある。昨年、大手電機会社の経営方針に愛想がつきて退社、
その後ある中小企業に務めたが、労働基準法を遵守しない社長へ進言して契約解除、
という経過後にである。なぜなら、このことにより現在雇用保険をいただき、初め
て毎日を自宅で過ごしている。この生活により、日々の自然の移りゆく姿を鑑賞し、
人間が自然とともに生きることのすばらしさを実感しているからである。
庭は、枯れ色の時から新芽が出て緑が現れ、さらに赤・黄・紫などに飾られる。
その移りゆく日々のすばらしさは例えようもない。そして、我が家の狭い庭にも自然
の恵みが現れ、ニラ・ミツパ・セリ・コゴミ・ウルイ、さらに昨年植えた大根・人参
・なっぱ・サラダ菜などが収穫されて食卓に登った。今年はさらに山菜取りに出かけ
て、たくさんの種類を味わせていただいた。タラの芽・ハリギリ・タカノツメ・ふき
のとう・フキ・ワラビ・ゼンマイ・シオデ・トリアシショウマ・コゴミ・たんぽぽ・
野ゼリ・ノビル、等々といったところであろうか。そんなわけで、人間が生きるとは
本来こういうことなのだと感じ、今までの会社生活はなんだったんだろうと思ってし
まっているこの頃である。しかし、現代社会では自給自足の生活には相当の覚悟が必
要で叶わないし、生きるためには生活の糧を稼がなければならない。これを計りにか
けても結論はどうにもでない。
我が家はこんな生活をしていても、世界は毎日激変の中にある。テレビの中でも、
毎日いろんな出来事で騒がれている。しかし、どれもこれも難題で、これも計りにか
けて結論のでるものではない。
こんな社会を素直に唄った、私の好きなシンガーソングライターがいた。今は亡き
河島英五である。皆さんは、「酒と泪と男と女」を唄った奴と言えば、おそらく分か
ってもらえるであろうか。彼が1976年に発売したシングルレコード「酒と泪と男
と女」の裏面に、「てんびんばかり」という曲がはいっている。河島英五の曲で私が
一番愛する曲であり、この曲の詞を世界のみんなに味わってもらいたい気持でいっぱ
いである。著作権がどうのこうのということがあるかもしれないが、皆さんに分かっ
ていただきたいための引用ということで、ここに掲載させていただく。
てんびんばかり (河島英五)
真実は一つなのか 何処にでも転がっているのかい
一体そんなものがあるんだろうか 何も解らないで僕はいる
そしてそれがあるとすれば 何処まで行けば見えてくるんだろう
そしてそれがないものねだりなら 何を頼りに生きて行けばいいんだろう
家を出て行く息子がいる 引き止めようとする母親がいる
どちらも愛してる どちらも恨んでる どちらも泣いている
偉い人は僕を叱るけど その自信は何処からくるんだろう
でももしも僕が偉くなったら やっぱり僕も誰かを叱るだろう
男はいつでも威張っているけど どんな目で女を見つめているんだろう
女はいつでも威張らせておくけど どんな目で男を見つめているんだろう
僕が何気なく呟いた言葉が 君をとっても悲しませてしまった
慰めようと言葉をかけたら 君は泣き出してしまった
長い間君はとっても 辛い思いをしてきたのでしょう
やっと君を幸せに出来ると思ったのに君はもういない
毎朝決まった時間に起きる人の 喜びは何処にあるんだろう
電信柱に小便ひっかけた 野良犬の悲しみは何処にあるんだろう
うちの仔犬はとても臆病で 一人では街を歩けない
首輪を付けるととても自由だ 僕を神様だと思っているんだろう
拳(コブシ)を挙げる人々と手を合わす人々が 言い争いを続ける間に
ホラごらんなさい野良犬の母さんが かわいい仔犬を生みました
母親が赤ン坊を殺しても 仕方のなかった時代なんて悲しいね
母親が赤ン坊を殺したら 気違いと呼ばれる今は平和な時
誤魔化さないでそんな言葉では 僕は満足できないのです
天秤計りは重たい方に傾くに決まっているじゃないかい
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ
誤魔化さないでそんな言葉では 僕は満足できないのです
天秤計りは重たい方に傾くに決まっているじゃないかい
どちらももう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんておかしいよ
後は何もいうことはない。皆さんがどう感じたかだけである。ついでになってしま うが、こんなことで悩める私の誕生月日は10月9日で天秤座である。そして、さら に平和を愛したジョン・レノンも10月9日の天秤座である。河島英五そしてジョン ・レノン、彼らの残したメッセージはどう響いているのだろうか。無駄にはしたくな いものである。社会が良くなり、世界が平和になることを、彼らといっしょに祈らず にはいられない。