随筆「田中耕一さんのノーベル賞に思う」        2002年10月12日
      −これを機会に現代社会を再考しよう−

 島津製作所の田中耕一主任さんがノーベル賞を受賞した。拍手喝采である。そして、 それを決定したノーベル賞選考会にさらに拍手喝采である。それとは反対に、それま で田中さんを評価しなかった日本国家・日本社会さらに田中さんが勤務する会社には 大ブーイングである。
 田中さんまでのレベルはないにしても、田中さんのように評価されていないものの 評価に値する人は世の中にたくさんいる。逆に、評価されるべきでないのに、評価さ れていらっしゃる方もたくさんいらっしゃる。それはなぜか、現代の日本社会には絶 対評価がないからである。さらに言うなら、評価する立場にあってはならない方が評 価をし、その評価がまちまちであるからである。最近の教育会はやっと気付いて絶対 評価をするようになってきたが、ところで絶対評価は可能なのであろうか。資本主義 自由経済社会では、「ノー」である。そこには必ず評価する人の利害・好み・偏見等 が加わりあり得ないことである。
 したがって、上記のようにすばらしい人でありながら評価されない人がたくさんい る訳である。特に、利益追求の会社はそうなるであろう。私はそれを悪いとは言わな いが、好きにはなれない。そういう意味では国家公務員等のシステムの方が好きであ る。この試験を合格したらこの職につける、あるいは昇格できる。明解じゃないです か。会社における、あの部長とうまくやらないと昇格できないとかいうような変な姿 はそこにはない。子供だって、親だってその方が本当は明解で分かりやすいはずであ って、目標を持ち計画が立てやすい。それによって、何をやっていいか分からないと いう今風の若者も減るのである。振り返ってみると、一時期の全員平等の考えが社会 をねじ曲げ、かえって悪い社会にしてしまったのではないであろうか。やはり絶対評 価によっては多少の差をつけることは必要である。
 しかし、スポーツ選手などの年棒何億とかいうのはいただけない。これは自由資本 主義社会の弊害である。完全になくせとは言わないが、これでは人々がこつこつとま じめに働くのがいやになり、いろいろな社会悪が生まれてしまう。
 しからば、これらの問題をすべて解決するためには社会はどうあるべきなのであろ うか。私としては今、書記長公選の共産主義国家しか考えつかない。自由資本主義 はあまりにもたまたまのことで平等がくずれている。共産主義は基本的にはすばらし い考えであるが、ソ連が崩壊したように独裁者の指導体制では悪になってしまう。そ のようなことからの結論が書記長公選共産主義となるのである。いろいろ異論を持つ 方がたくさんいることは分かるが、では今の社会のままでいいのであろうか。誰も今 のままでいいとは思っていないはずである。この随筆が現代社会を再考するきっかけ となってくれれば良いのであるが・・・。