随筆「JR新大久保事故に思う」 2001年2月
ーいい人が評価される社会をー
JR新大久保駅で傷ましい事故が起きてしまった。ホームから落ちた酔っぱらいを助けようとしたカメラマンの関根史郎さん、そして韓国留学生の李秀賢さんが亡くなってしまった。私もホームというのは危険だと感じているし、また最近は後から悪い人に押されるのではという恐怖から、ホームでは絶対に先頭に立たないし押されても落ちないように脚を踏ん張っている。このような暗い世の中で、今回の事件は美談だとされている。総理大臣や官房長官等までが弔問に出かけたり、警視総監が表彰したりしようとしているわけであるが、ちょっと待てよという気がするわけである。
この二人がこんなことで喜んでくれるのであろうか。私は違うと思う。世の中にはこの二人のような、俗に言ういい人というのはいっぱいいるのである。しかし、こういう純粋にいい人たちは、常にこういう事件にならないといい人と評価されないのである。普段はバカまじめとか、お人好しとか言われていることが多いのが、今の世の中ではないだろうか。私たちはこのような人たちが普段からいい人と評価される社会を作っていく義務があるのではないであろうか。
現代は間違った自由主義に踊らされている競争社会である。アメリカの圧力を受けた日本政府は、自由化・自由化と叫び、日本型共産主義とか護送船団型という日本が作ったすばらしいものを捨て去ってしまった。本当に今のままの社会で良いのであろうか。アメリカでは徹底した自由主義によりアメリカン・ドリームも生まれるが、逆に貧富の差が大きくなって二極分化になってしまったとか、最近ではカリフォルニア州で自由競争の結果として停電が起きるとかの弊害が起きてきている。
いい人は普通の目立たないところにたくさんいる。しかし、脚光を浴びる世界には純粋にいい人は少ない。なぜなら、脚光を浴びる人はそれまでに競争で他の人を蹴落としてきたからである。いい人はいい人だから他の人を蹴落とすなんてできないのである。そういう意味では年功序列型というのは若干の弊害もあるものの、日本が生んだ良き制度ではなかろうか。いい人を年功序列で役職に登用すれば、その役職にあったすばらしい成果をあげるのである。しかし、いい人はそういうことで登用しない限り、ずっと普通の目立たないところに埋もれているのである。
日本はアメリカ依存型から脱却し、アメリカにノーと言い、日本の生んだすばらしい体制に戻るべきではないであろうか。日本型共産主義と言われる平等社会、高度成長時代の総中流意識、倒産会社のでない護送船団型等々、皆今と比べれば良かったじゃないか。但し、それらを食い物にする悪い奴らを監視することだけが足りなかったのが、日本の悲劇であった。
ある方からから、この随筆に対して投稿がありました。
アメリカの自由競争=生き残り、サバイバルでは、無いと思います。日本の伝統は、年功序列ではなく、終身雇用であると思います。アメリカの自由競争とは、私は自由経済であると思います。ロシアも中国もこのアメリカの自由経済に対してこれほど生活、科学、文化、医学、芸術等あらゆるカテゴリに対して、繁栄、便利さ、長寿命、知能を与えるとは想像出来なかった思います。そして民主主義の大切さも。
アメリカに住んで、アメリカ人と生活し、アメリカ人を評価、採用をしてきました。言える事は、実は、非常にバランスの取れた社会なのです。そして、学歴社会ではなく資格社会であります。どこの大学を出たのではなく、何の資格を持っているか、業績が数値で出せるかが、上位職に就く条件です。
日本は、有名大学を出て、入社、入庁試験に合格すれば、レールがひかれるのとは大きく違います。だからいくつになっても自己投資を欠かせません。日本人は、サラリーマンですが、アメリカ人は、一人一人が開業医です。だから、自分を商品として売る為、プレゼンテーションも必要になるのです。多くのアメリカの企業は、労働組合はありません。常にレイオフの恐怖と自己のスキルアップに励んでます。そんなアメリカと日本の構造が根本的に違うと思います。
1997年4月に家族でワシントンDCを訪れました。ベトナム戦争で6万人近いアメリカ兵が命を落としました。ワシントンDCのメモリアルパークで、自分の最愛の息子を失った母親が息子の刻まれた名前をさすりながら、膝まつく光景を何度も目にしました。何故、ベトナムの為に、関係のない息子を失なければならないのか、日本の母親には理解できないことです。
1995年11月に私の息子と娘が渡米し、翌日から、現地校が受け入れてくれます。勿論、教科書も、授業料もだだです。英語の分からない子の為に、理解できるまで特別のクラスで、英語を徹底的に教えてくれます。専属の教師がおります。日本で、もしタイから来た子供を明日から、学校が受け入れますか? 日本語を専門に教えますか?
いろいろ書きましたが、その国々によって、違うのかなと思います。要するに、日本の国も企業がまだまだ、幼稚で、世界に通用しないことだけは事実だと断言できます。