随筆「長崎12歳の少年の犯罪に思う」 2003年7月15日
ー文明の発展のプラスとマイナスー
長崎で12歳の中学生が4歳の幼稚園児をビルの屋上から突き落とすという痛まし
い事件が起きた。しかも、その前には園児の服を脱がせ、いかがわしい行為をした挙
げ句の果てにである。こういった事件は近年、文明の発展というか情報の氾濫ととも
に増加してきたように思える。テレビ・映画では暴力・いかがわしい行動が情報の自
由のもとに、人々の前に平気でさらけだされている。また、TVゲームでも現実には
あり得ないような世界がゲームをする人を狂わせている。
専門家の教授がこんなことを言っている。「7歳までは仮想ゲームはやらせないで
ほしい。そうしないと子供は現実の世界と空想の世界の区別がつかずに、犯罪につな
がった行動をしてしまう。」と。その通りである。しかし、そういう分析があるのみ
で、この世界ではその対応対策が進まないのは何故か。それはある時、大人が必要と
しており欲しているからである。私だってある。文明の発展とともに世の中が複雑に
絡み合い、たまにはそこから逃げることをしたくなる。空想世界の映画を見る。自分
がさも英雄になったようゲームをする。夜の街に出る。映画・ゲームはそれだけで終
われば問題はないが、人間は弱いものであって、それだけで欲求は止まらない。現実
の世界でそれを行動にうつしたくさせる。現実をしっかり知って育ち分別のできる人
はいいが、そうでない人は危険となる。夜の街だって危ない寸前である。うさばらし
に酒を飲み店を出れば、人間を狂わすような店がいっぱいである。それでも現実の世
界で育ってきた私たちにはある程度の自制が働く。しかし、情報が氾濫する空想世界
を多く経験して育ってきたこれからの大人はもっともっと危険度は増していく。しか
し、それをすべてなくすことは欲求する大人自身ができない。役人だってできない。
「役人のノーパン喫茶接待」なんてものがそれを端的に物語っている。
では、どうすればいいのであろうか。少し昔の子供を考えてみよう。昔は子供たち
が集団で遊んでいた。その中でガキ大将が存在し組織を形成していた。子供たちはそ
の中で集団の秩序を身につけ、現実の中で育ったのである。空想といったら山に塹壕
をこしらえ、そこから満点の星空を眺めるといった、いい意味での空想であった。
とすれば、さぁどうすればいいのであろうか。総理大臣が国として対策するように
関係各大臣に指示したというが、いい手はない。文明が発展しプラスが現れれば、必
ずマイナス面も生まれる。したがって、文明を捨てるしか対策はないと私は考える。
昔、地球上で反映した恐竜は火山爆発とかいん石の落下といった自然現象で滅んだと
言われている。繁栄あるものはいつかは必ず滅びる。人類は自ら創り出した文明で繁
栄し、その文明で自らを滅ぼしていくのであろうか。何とかならないのか。
祇園精舎の鐘の声が聞こえる・・・。