随筆「ライブドア問題と倫理」 2006年2月14日
ー倫理ある社会を取り戻そうー
現在、ライブドアそして堀江容疑者の問題が世間を騒がせている。テレビにおいては解説者が、倫理を教えなければならないと分かったようなことをおっしゃっている。しかし待てよ、この発言はちょっとおかしいではないか。倫理は教えるもの、教えられるものではない。今の社会全部に倫理が欠如してきているから、身に付かないのである。倫理教育が必要と唱える方は、その前にまずこの社会そのものを倫理ある社会に戻す努力をすることが必要なのである。いや努力だけでは足りない。死に物狂いで、本来の倫理ある日本社会を取り戻さねばならない。解説者も含め日本社会は倫理を無視し、統制無き自由社会を目指してきた。これが一番の問題なのであって、日本人全員がこれに気づかなければならないのである。
現代社会の何処に倫理がありますか。家庭においては、報道の自由とか言って何でもかんでもニュースになり、すべてがあからさまである。家庭用ゲームは、殺人そして弱者切り捨ての人生マネーゲーム。さらに、ローン地獄・家庭内暴力・熟年離婚等々と、どこに倫理があるというのですか。
学校に行けば、そこは秩序無き世界。生徒そして父兄を怖がる教師に倫理が教えられますか。私は小学校の時、日本脳炎の同級生をからかって、たしか廊下に立たされた。水バケツはどうだったかな。中学校の時は授業中に教室内を歩き回って、先生に黒板消しを投げつけられ、それが頭に命中して髪の毛が真っ白になった。今の時代だったら大変なことです。これらの良き先生は学校から追放です。しかし、私はこれらのこと、そして倫理ある社会の中で教育を受けたおかげで、立派に倫理観が育ったと言えます。
街を歩けばどうでしょう。何でもありの倫理無き世界です。細かいことですが、電車の中では、優先席に座る若者、携帯電話に操られる人々、そして女性の化粧姿等々。道路は無謀な運転の車の波、煙草のポイ捨て、土べたに座る若者、そして夜の世界。
会社に行けば、倫理無き醜い戦いのサラリーマンの群。私は生活の目途をつけ、自分が駄目にならないように五十代半ばで去らさせていただきました。
要するに、何処にも倫理なんてありません。その中で、どうやって倫理を教えるというのですか。こういう世界にしている政治・マスコミ・会社・学校・地域・家庭等々、これらすべてが変わらなければならないのです。倫理は教えるものではありまん。倫理が自然に身に付く社会を、みんなで全勢力を注ぎ、早く取り戻そうではありませんか。