随筆「カフスボタン−高度経済成長時代昭和46年−」
2010年1月21日
「カフスボタンってな〜に?」と、聞かれた。
昭和46年、聞いてきたのは、私が新入社員として大阪の電気メーカーに就職し、製造実習で行った工場現場の女の子で、まだ中学を卒業したばかりの娘である。その頃大阪では漫才がブーム(今のお笑いとはちょっと違う)で、中田カフスボタンなどが人気であった。その女の子はどうも純粋にカフスボタンのことを知らなかったようなので、親切に教えてあげた。
しかし、人事からはいろいろ注意を受けていた。「大卒のみなさんは彼女たちから見たらあこがれなのですから、あまり親切にするとすぐに近づいてきますよ。深い付き合いにならないように、くれぐれも注意してください。」と。それでも、レクレーションでハイキングに行ったり、花月なんばに漫才を見に行ったりと、本当に純粋な意味で彼女らとは楽しかったなぁ。大阪の女性はみんなキツイのばっかりと思ってたが、まったく違っていた。
工場は、そういう女性が何百人も働いていた。製造工程1ラインに20人ぐらいいて、広い工場の中にそれが何ラインもある。当時、ブリント基板への部品の挿入はすべてこの女性たちが行っていた。中卒でも大企業に就職でき、そしてそれなりの貯蓄をし、結婚して辞めていく。高度成長時代のこの時期は、こうして世の中はうまく廻っていた。そう、極端な選り好みをしなければ、誰でもそれなりの仕事があった。
しかし、彼女らのやっていた仕事はそのうちすべて機械化され、自動機が取って代わった。そして、高学歴化も進行し、女性も男性の仕事に進出し、仕事の争奪戦が始まった。さらに少子化が進んで人口が減少し、経済全体が縮小していった。そして、現在となり、これらの原因以外にも、企業の海外進出などの他の要因により、新卒でも就職できないなんていう異常な事態になってきてしまった。
国は何をしてきたのか、いや国だけでは済まない世界の自由経済主義はどうなってきたのか。このままでは、そのうちどこの国も同じ道を辿っていくことになり、どうなってしまうのか。私には、これらに対する答えは導けない。答えをだせる人はいるのか。これからの時代が、不安でいっぱいである。